宝珠院の歴史

概説


野沢の瀬下敬忠が宝暦3年(1753)に著した「千曲之真砂」の中に、
「小田井の左に法執院という真言宗あり」と書かれているのが、
現在の寳珠院であります。

創建は不分明ですが、開山は幸尊和尚、開基は小林伝平で、永正の頃と伝えられています。

元禄3年(1690)の「信州佐久郡小田井町寺社御改帳」によると、
天正年中の小田井村が出来つつある時代に、字上小田井よりより現在地に引越し、
中興の開山は幸清法印とされています。

年表


1520(永正年代)頃  創建

1690(元禄三年)   中山道小田井宿の整備に伴い、現在地に移転
            この頃アカマツや枝垂れ桜が植えられる?

1711(正徳元年)   旧本堂建立

1770(明和七年)   大門・石垣・枡形・位牌堂増築

1772(明和九年)   土蔵建造

1779(安永八年)   鐘楼の建立・大鐘の鋳造


1995(平成七年)   本堂改築



宝珠院は弘法大師が創始された真言宗のお寺で智山派に属し、総本山は京都東山七条の智積院であります。飯玉山慈眼寺寳珠院と称し、ご本尊は聖観世音菩薩であります。

創建は永正年代(1510年頃)と伝えられ、開山は幸尊和上、開基は小林伝平さんであります。元禄三年(1690)の「信州佐久郡小田井町自社御開帳」に よりますと、天正年中の小田井村が出来つつある時代に字上小田井より現在地に移転し、中興開山は幸清法印とされています。

平成七年(1995)に改築の為取り壊された旧本堂は、正徳元年(1711)に建立されたもので、当時の有志帳を見ると、小田井村分167名、前田原村分80名、合計247名のご寄付による総額89両2分余を要したと記されています。

栄運和上の代の明和七年(1770)に大門・石垣・枡形・位牌堂などが増築されました。昭和四十五年大門の大改修の際に棟札が見つかり、それにより建立年 代などが明らかになりました。明和九年(1772)辰年秋吉日、飯玉の森・十二の森・山王の森・寺地からの多量の木材が集められ土蔵が建てられました。木 材の出処・所有者・材質・太さ・長さなどが明細に内部の桁に書き記されてあります。
次いで安永八年(1779)に鐘楼の建立・大鐘の鋳造が行われました。

現在の本堂、位牌堂、客殿は長野市の中村建築研究所による設計を基に、守谷商会が建設を請け負い、宮大工寺島工務店が木工建設を実施し、平成9年7月に新 築されました。新築費用は3億6千万円を要し、その全てが檀家の皆様の寄付によるものでありました。同年秋には盛大な落慶法要が営まれました。